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四国一周 9日目 ・・・ ① [旅行記]

四国一周旅行もいよいよ最終日となりました
高知から約750km気合を入れて帰らなければならないのですが、前日金刀比羅さん、大窪寺、霊山寺と3ヶ所しか見ておらずちょっと消化不良感があり、早起きしてもう一ヶ所高知に近い所に寄ってみる事にしました

6時には宿をチェックアウトし 車を走らせていると変わった形の山が見えてきます

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屋島 map 屋島観光
安山岩より成る溶岩台地で浸食によりテーブル状の台地を形成しており、その形状が屋根に似ている所から屋島と名づけられたというそうな
江戸時代までは島だったそうですが今は地続きの半島になってます

今回の目的地はこの屋島の中に有ります

ところで群馬でテーブル状の山と言えば荒船山
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屋島を見たら妙に思い出してしまいました

屋島には屋島ドライブウェイを使って登ってます 屋島ドライブウェイHP
でも往復で610円はちょっと高いですな~

ところでこのドライブウェイにはミステリーゾーンが有ります
ミステリーゾーンとは、実際には上り坂なのに目の錯覚で下り坂に見える所が有るのです が、良く判らず写真撮ってませんでした
屋島ドラブウェイのWikipediaに写真付きで載ってますので気になる方は見てね wikipedia

ところで屋島は平安時代 平家が陣を張ったとして有名な場所でここ屋島から壇ノ浦にかけて戦の有った場所です
  源平屋島合戦ウェブサイト

屋島の合戦
一ノ谷の合戦で敗れた平氏は四国讃岐の屋島に陣を取り、水軍を持たない源氏を再び脅かすようになった。1185年(元暦2年)2月18日、源義経は摂津国渡辺から暴風の中僅か百五十騎を率いて海を渡り、阿波国椿浦に上陸した(通常三日の行程を、暴風を利用して4時間で渡ったという)。上陸後は土地の武士を味方に付けながら、19日に屋島の平家を攻めた。激しい矢合戦となり奥州から義経に従ってきた佐藤嗣信が戦死したのもこの時である。
 その後、源氏には梶原景時を大将として援軍が来るというので、平家は全軍船を揃えて長門国へ向かった。
(歴史データより)

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途中の展望台に古戦場を望める場所が有りました
こっちの方向には平賀源内の邸宅も有るそうです

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五剣山(八栗山)
五剣山というわりに、ピークは4つしか見えない、実は4つのピークの右側にもう一つピークが有ったのだが宝永4年(1707年)の地震で崩れたと言われています

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瀬戸内海も見えます
平家軍船の泊地「船隠し」はこちらの方向です

この古戦場を檀の浦(壇の浦ではありませんよ)と言いますが、以前土佐の五台山の時紹介した夜景画像のHPに檀の浦の画像も有りました 檀の浦夜景
かなり綺麗です

ドライブウェイを登りきると目的地までもうすぐ

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ニャンコがお出迎えだ ニャン


撮影日 2011年3月13日

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