四国一周 7日目 ・・・ ⑦ [旅行記]
今夜のお宿は金比羅温泉 map
今回四国一周には大量のMP3音楽を持って行きそれを聞きながら運転していた為、昼間はテレビやラジオとは無縁な状態でした
善通寺を出て宿に着いたのは6時半過ぎ 少々ホテル内がザワザワしている気がしましたが、週末なので忙しいのかな程度しか思っておらず部屋でテレビを見た瞬間凍り付きました
目の前では車が流れている映像が繰り返し流れていて一瞬何が有ったのか判らず少し経ってから地震だと気付いた状況でした
テレビをボーと見てると宿の人が挨拶に来て大変な事になってますねと話していたら、羽田空港が離発着出来ず高松空港から東京に帰る団体さんが飛べなくなり大型バスでやってくるので、それを受け入れる為に右往左往していたそうでした
どうりで妙にザワザワしていたはずです
地震の有った2時46分は雲辺寺を出て琴弾公園に向かう途中で、当然四国はまったく揺れず途中スーパーにも寄ったのですがまったく地震の事は噂にもなっていませんでした
1時間ほど部屋でボーとしていたのですが余り遅くなってもしょうがないので外に食事に出かけました
しかし、週末と帰れなかった人が結構いたのか食事の出来る所は何処に行っても一杯で門前払い状態、やっと見つけた割烹料理店でなんとか食べれましたが、私の後から入って来た人たちはご飯が無いと断られていました
食事をしながら今後をどうしようかと考えていましたが、奇跡的に家と電話が通じ何事も無かったのが判ったのと 長野辺りでも地震が有った様なので帰りの高速の様子を見た方が良いと判断して四国に残る事にしました
夕食がなんとなく食べ足りなかったのでコンビニを探して町の中をウロウロしてみました
ことでん琴平駅
駅前なのでなんかないかと思ったのですが辺りは真っ暗 でもこんな物が有りました
高燈篭 map
高さは27.6m有り日本一高い燈篭だそうで、なんでもその昔は瀬戸内海からも明りが見えたとか
建てられた年は1865年(資料によって年代が多少違ってますので定かではないのかも)、高杉晋作が愛妾おうのを連れて琴平を訪れてこの燈篭を見たとも言われてます
ここは翌日の昼間、再び訪れてます
ことでん琴平駅
高燈篭
石積みの台の上に建つ木造三階建て瓦葺き
今は中には入れませんが三階には昔の落書きが一杯あるそうです
ことでん琴平駅周りにはコンビニが無かったのでJR琴平駅に行ってみました
JR琴平駅
大正時代に建てられた駅舎だそうです
駅前には燈篭が並んでいてなかなか良い雰囲気ですが人がおらず暗かったです
しかしコンビニは無く次は商店街の方に行ってみました
が、全然見つからず彷徨い歩いていたら変わった橋を発見
鞘橋
この橋の存在は全然知らなくて偶然見つけてます (るるぶ四国には記載無しでした)
橋の袂に案内板が有りそれによると、寛永元年(1624年)に建設されたと言われており に幾度となく洪水により流出し現在の物は明治2年に建てられた物です
元々は今の場所より少し上流の一之橋が有る場所に建てられたのですが明治38年軍隊の砲車をとおすために架けかえられて今の場所に移され、それ以後は年3回、金刀比羅宮の祭典だけに使用されているそうです
偶然にも一之橋の写真も撮ってました、それも鞘橋に行く前に
鞘橋にも翌日訪れてます
木造のアーチ橋で橋脚が無く屋根を持っているところが全国でも数少ない珍しい橋だそうです
コンビニ探しててこんな物見つけちゃったって感じですが、見れて良かった
金刀比羅さんの入口
明日は石段との格闘になりそうです
結局コンビニは見つからずホテルのフロントで聞いたら車で5分位行った所に有りました
どうりで歩いて探したのでは見つからないはずです(最初から聞けって ですよね)
この日の観光はこれで終了です
夜部屋にいても気が滅入ってしまうので露天風呂に入って星を眺めていましたが、余りのヌルさに早々にギブアップでした
しかしお風呂はガラガラで、急遽入ってきたという団体さんは何処に居るのかな?
次回は金刀比羅参りです
今回四国一周には大量のMP3音楽を持って行きそれを聞きながら運転していた為、昼間はテレビやラジオとは無縁な状態でした
善通寺を出て宿に着いたのは6時半過ぎ 少々ホテル内がザワザワしている気がしましたが、週末なので忙しいのかな程度しか思っておらず部屋でテレビを見た瞬間凍り付きました
目の前では車が流れている映像が繰り返し流れていて一瞬何が有ったのか判らず少し経ってから地震だと気付いた状況でした
テレビをボーと見てると宿の人が挨拶に来て大変な事になってますねと話していたら、羽田空港が離発着出来ず高松空港から東京に帰る団体さんが飛べなくなり大型バスでやってくるので、それを受け入れる為に右往左往していたそうでした
どうりで妙にザワザワしていたはずです
地震の有った2時46分は雲辺寺を出て琴弾公園に向かう途中で、当然四国はまったく揺れず途中スーパーにも寄ったのですがまったく地震の事は噂にもなっていませんでした
1時間ほど部屋でボーとしていたのですが余り遅くなってもしょうがないので外に食事に出かけました
しかし、週末と帰れなかった人が結構いたのか食事の出来る所は何処に行っても一杯で門前払い状態、やっと見つけた割烹料理店でなんとか食べれましたが、私の後から入って来た人たちはご飯が無いと断られていました
食事をしながら今後をどうしようかと考えていましたが、奇跡的に家と電話が通じ何事も無かったのが判ったのと 長野辺りでも地震が有った様なので帰りの高速の様子を見た方が良いと判断して四国に残る事にしました
夕食がなんとなく食べ足りなかったのでコンビニを探して町の中をウロウロしてみました
ことでん琴平駅
駅前なのでなんかないかと思ったのですが辺りは真っ暗 でもこんな物が有りました
高燈篭 map
高さは27.6m有り日本一高い燈篭だそうで、なんでもその昔は瀬戸内海からも明りが見えたとか
建てられた年は1865年(資料によって年代が多少違ってますので定かではないのかも)、高杉晋作が愛妾おうのを連れて琴平を訪れてこの燈篭を見たとも言われてます
ここは翌日の昼間、再び訪れてます
ことでん琴平駅
高燈篭
石積みの台の上に建つ木造三階建て瓦葺き
今は中には入れませんが三階には昔の落書きが一杯あるそうです
ことでん琴平駅周りにはコンビニが無かったのでJR琴平駅に行ってみました
JR琴平駅
大正時代に建てられた駅舎だそうです
駅前には燈篭が並んでいてなかなか良い雰囲気ですが人がおらず暗かったです
しかしコンビニは無く次は商店街の方に行ってみました
が、全然見つからず彷徨い歩いていたら変わった橋を発見
鞘橋
この橋の存在は全然知らなくて偶然見つけてます (るるぶ四国には記載無しでした)
橋の袂に案内板が有りそれによると、寛永元年(1624年)に建設されたと言われており に幾度となく洪水により流出し現在の物は明治2年に建てられた物です
元々は今の場所より少し上流の一之橋が有る場所に建てられたのですが明治38年軍隊の砲車をとおすために架けかえられて今の場所に移され、それ以後は年3回、金刀比羅宮の祭典だけに使用されているそうです
偶然にも一之橋の写真も撮ってました、それも鞘橋に行く前に
鞘橋にも翌日訪れてます
木造のアーチ橋で橋脚が無く屋根を持っているところが全国でも数少ない珍しい橋だそうです
コンビニ探しててこんな物見つけちゃったって感じですが、見れて良かった
金刀比羅さんの入口
明日は石段との格闘になりそうです
結局コンビニは見つからずホテルのフロントで聞いたら車で5分位行った所に有りました
どうりで歩いて探したのでは見つからないはずです(最初から聞けって ですよね)
この日の観光はこれで終了です
夜部屋にいても気が滅入ってしまうので露天風呂に入って星を眺めていましたが、余りのヌルさに早々にギブアップでした
しかしお風呂はガラガラで、急遽入ってきたという団体さんは何処に居るのかな?
次回は金刀比羅参りです
撮影日 2011年3月11日
四国一周 7日目 ・・・ ⑥ [旅行記]
この日は以外と調子良く事が進んだ為、翌日見る予定にしていた 75番 善通寺 に行ってみました
とは言っても着いたのは5時過ぎ、あんまりのんびりと見ている時間は無いので急ぎ足でお参りしてきました
○ 第75番札所 善通寺(ぜんつうじ) 善通寺HP map
善通寺は弘法大師が生まれた地として有名な所で、和歌山の高野山、京都の東寺と並ぶ弘法大師3大霊跡の一つです
寺域は4万5千㎡(東京ドーム1個分)にもおよび、四国一の規模を誇り東西の2ヶ所に分かれて寺院が建っています
善通寺全体地図
駐車場は西院の正覚門を出た所に有りますが、まずは本堂の有る東院から見始めました
中門
西院の仁王門を出て東院に入る所にあります
江戸時代末期再建で2階建、入母屋作になっていますが、余り手入れされて無い感ありました
門を入ると広々とした境内が見渡せます
日がだいぶ傾いて影長いです
境内に有る五社明神に生える大楠(くすのき)
幹周10m 、樹高約40m 、樹齢は不明だそうです
実はもう1本弘法大師が子供の頃にはすでに巨木になっていたと言われている樹齢が1300年以上の楠木が有りますが、樹高は五社明神の物より低く約30mだったので余り気にならず写真を撮ってませんでした
ちなみに2本の楠木はいずれもが県指定の天然記念物となっています
本堂
ここでは五岳山善通寺金堂と呼ばれています
5時前に来てれば開扉されていたのですが、すでにしっかりと閉まってました
五重塔と鐘楼
本日2つ目、この旅3ヶ所目の五重塔です
五重塔は第31番札所「竹林寺」・第70番札所「本山寺」・第75番札所「善通寺」・第86番札所「志度寺」と4寺しかないそうで、その中の3ヶ所を見た事になります
南大門
善通寺 東院の正門になります
常行堂(釈迦堂)と赤門
常行堂は以前は御影堂だったものが天保年間の御影堂改築で西院から東院に移築されたそうです
赤門は東門が正式名称ですが赤いので赤門だって、なんかイージーなネーミングですな
常行堂の扉の前で寝てたネコ
よっぽど疲れていたのか近寄っても熟睡してて全然起きませんでした
東院を一回りして西院に移動しました
東院と西院の間には露天が並び、毘沙門天華蔵院や観智院と言うお寺が有ります
山門(仁王門)
西院の正門になっていて、左右に金剛力士像、中には巨大わらじが下がってます
門前の石橋は昔は毎月20日のみしか渡れず「廿日橋」と呼ばれていますが、今は1年中オーケーです
なかなか凛々しいお姿
仁王門を入ると御影堂まで回廊が続いています
御影堂(大師堂)
大師が生まれた佐伯氏宅地跡に建ち天保2年(1831年)に建てられ昭和11年改修されたそうです
なんでも地下には100mの戒檀めぐりが有りまっくらな中左側の壁を伝って「南無大師遍照金剛」と唱えて進むのだそうですが当然閉まっていて入れません、でも長野の善光寺に有るお戒檀めぐりに入った事があるから ま いいか
左から聖霊殿、護摩堂、親鸞堂、鐘楼
御影堂の裏側
左側には産湯井、手前側には宝物館が有ります
遍照閣
中には四国八十八ヶ所お砂踏み道場が有りますがここは4時に閉館でした ハヤ
正覚門
駐車場からだとこの門から入ります
ここに到着した時撮ったのでまだ明るい時の写真です
さすが大師生誕の地、見所満載なお寺でした(全部閉まってたけど orz)
今度来る事があればもっと早めに来て宝物館見てみたいです
辺りもすっかり暗くなったので今夜のお宿、金比羅温泉に向かいました
ここまでのルート
本山寺から善通寺 13.1km
とは言っても着いたのは5時過ぎ、あんまりのんびりと見ている時間は無いので急ぎ足でお参りしてきました
○ 第75番札所 善通寺(ぜんつうじ) 善通寺HP map
善通寺は弘法大師が生まれた地として有名な所で、和歌山の高野山、京都の東寺と並ぶ弘法大師3大霊跡の一つです
寺域は4万5千㎡(東京ドーム1個分)にもおよび、四国一の規模を誇り東西の2ヶ所に分かれて寺院が建っています
善通寺全体地図
駐車場は西院の正覚門を出た所に有りますが、まずは本堂の有る東院から見始めました
中門
西院の仁王門を出て東院に入る所にあります
江戸時代末期再建で2階建、入母屋作になっていますが、余り手入れされて無い感ありました
門を入ると広々とした境内が見渡せます
日がだいぶ傾いて影長いです
境内に有る五社明神に生える大楠(くすのき)
幹周10m 、樹高約40m 、樹齢は不明だそうです
実はもう1本弘法大師が子供の頃にはすでに巨木になっていたと言われている樹齢が1300年以上の楠木が有りますが、樹高は五社明神の物より低く約30mだったので余り気にならず写真を撮ってませんでした
ちなみに2本の楠木はいずれもが県指定の天然記念物となっています
本堂
ここでは五岳山善通寺金堂と呼ばれています
5時前に来てれば開扉されていたのですが、すでにしっかりと閉まってました
五重塔と鐘楼
本日2つ目、この旅3ヶ所目の五重塔です
五重塔は第31番札所「竹林寺」・第70番札所「本山寺」・第75番札所「善通寺」・第86番札所「志度寺」と4寺しかないそうで、その中の3ヶ所を見た事になります
南大門
善通寺 東院の正門になります
常行堂(釈迦堂)と赤門
常行堂は以前は御影堂だったものが天保年間の御影堂改築で西院から東院に移築されたそうです
赤門は東門が正式名称ですが赤いので赤門だって、なんかイージーなネーミングですな
常行堂の扉の前で寝てたネコ
よっぽど疲れていたのか近寄っても熟睡してて全然起きませんでした
東院を一回りして西院に移動しました
東院と西院の間には露天が並び、毘沙門天華蔵院や観智院と言うお寺が有ります
山門(仁王門)
西院の正門になっていて、左右に金剛力士像、中には巨大わらじが下がってます
門前の石橋は昔は毎月20日のみしか渡れず「廿日橋」と呼ばれていますが、今は1年中オーケーです
なかなか凛々しいお姿
仁王門を入ると御影堂まで回廊が続いています
御影堂(大師堂)
大師が生まれた佐伯氏宅地跡に建ち天保2年(1831年)に建てられ昭和11年改修されたそうです
なんでも地下には100mの戒檀めぐりが有りまっくらな中左側の壁を伝って「南無大師遍照金剛」と唱えて進むのだそうですが当然閉まっていて入れません、でも長野の善光寺に有るお戒檀めぐりに入った事があるから ま いいか
左から聖霊殿、護摩堂、親鸞堂、鐘楼
御影堂の裏側
左側には産湯井、手前側には宝物館が有ります
遍照閣
中には四国八十八ヶ所お砂踏み道場が有りますがここは4時に閉館でした ハヤ
正覚門
駐車場からだとこの門から入ります
ここに到着した時撮ったのでまだ明るい時の写真です
さすが大師生誕の地、見所満載なお寺でした(全部閉まってたけど orz)
今度来る事があればもっと早めに来て宝物館見てみたいです
辺りもすっかり暗くなったので今夜のお宿、金比羅温泉に向かいました
ここまでのルート
本山寺から善通寺 13.1km
撮影日 2011年3月11日
四国一周 7日目 ・・・ ⑤ [旅行記]
当初立てた予定よりも1時間ほど早く雲辺寺から降りて来たので、何処か面白そうな所はないかとガイドブックを見ていたら、丁度移動ルート近くにちょっと気になる観光スポットが有ったので寄ってみました
○ 琴弾公園 銭形砂絵 map 観音寺市 観光HP
琴弾公園のすぐ隣には68番 神恵院 69番 観音寺 が有りますが、この2つのお寺は同じ境内にある珍しい霊場で 1ヵ所で2個の納経がもらえるお遍路さん達にはありがたいお寺です
でも今回は寄ってませんけどね
るるぶ四国にはここの情報が無くお遍路さんの本に載っていただけなので良く要領が判らないまま、まずまず公園内をウロウロしてみました
実はこの時砂絵を間近で見ていたのですが良く判らず写真を撮っていませんでした、残念 クヤシイデス
公園に有った案内図を見るとどうも山の上に展望所が有るみたいなので行ってみました
すると
おー 想像以上にでっかいです
東西122m、南北90m、周囲345m有るそうです
最近作った物かと思ったら寛永10年(1633)、藩主生駒高俊公の領内巡視を歓迎するため、一夜にして掘りあげたと伝えられる歴史の有る物でした
でも維持管理大変なんでしょうね
近くの松の大きさと比べると大きさが判りますね
銭形を見た人は健康で長生きし、しかもお金に不自由しなくなると言い伝えられていますが、未だご利益はマッタク無いです
さて、お金に不自由しなくなることを信じて次の目的地に向かいました
ここまでのルート
雲辺寺から琴弾公園まで 13km
○ 第70番札所 本山寺(もとやまじ) map
ここは戦国時代 長宗我部兵の戦火から免れたため鎌倉時代の本堂が残っているそうで見てみたいと思ってました
山門(仁王門) 重要文化財
室町時代中期建立の和様・唐様・天竺様という三つの様式を持った八脚門で全国でも他には例がないそうです
周りに塀は無くポツって感じで建っていて、門以外からでも入り放題です
鐘楼と大門
山門を入ると右手に有りますが、大門は改修工事中でした
この大門にはでっかい わらじ がかかってます
大師堂
本堂 国宝
こじんまりとしてますが、なかなか赴きのあるお寺です
鎌倉時代に建てられた梁間五間の寄棟造、瓦葺屋根の建物で、昭和30年に改修工事が行われたそうです
五重塔
明治に作られていますが江戸の様式を受け継いだ建築物だそうです
竹林寺に続いてこの旅2ヶ所目の五重塔です
せっかく見たかった本堂なので色々な角度で撮ってみてます
本山寺は八十八ヶ所中唯一の馬頭観音を本尊としているのにちなんで馬の像があるそうな
ちょっと短絡的な発想では
本堂は大師が一晩で建てたとか、長宗我部軍が本堂に侵入の際、住職を刃にかけたところ脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち、これに驚いた軍勢が退去したため本堂は兵火を免れたとか何かと言い伝えが有るお寺でした
ここまでのルート
琴弾公園から本山寺 6.1km
○ 琴弾公園 銭形砂絵 map 観音寺市 観光HP
琴弾公園のすぐ隣には68番 神恵院 69番 観音寺 が有りますが、この2つのお寺は同じ境内にある珍しい霊場で 1ヵ所で2個の納経がもらえるお遍路さん達にはありがたいお寺です
でも今回は寄ってませんけどね
るるぶ四国にはここの情報が無くお遍路さんの本に載っていただけなので良く要領が判らないまま、まずまず公園内をウロウロしてみました
実はこの時砂絵を間近で見ていたのですが良く判らず写真を撮っていませんでした、残念 クヤシイデス
公園に有った案内図を見るとどうも山の上に展望所が有るみたいなので行ってみました
すると
おー 想像以上にでっかいです
東西122m、南北90m、周囲345m有るそうです
最近作った物かと思ったら寛永10年(1633)、藩主生駒高俊公の領内巡視を歓迎するため、一夜にして掘りあげたと伝えられる歴史の有る物でした
でも維持管理大変なんでしょうね
近くの松の大きさと比べると大きさが判りますね
銭形を見た人は健康で長生きし、しかもお金に不自由しなくなると言い伝えられていますが、未だご利益はマッタク無いです
さて、お金に不自由しなくなることを信じて次の目的地に向かいました
ここまでのルート
雲辺寺から琴弾公園まで 13km
○ 第70番札所 本山寺(もとやまじ) map
ここは戦国時代 長宗我部兵の戦火から免れたため鎌倉時代の本堂が残っているそうで見てみたいと思ってました
山門(仁王門) 重要文化財
室町時代中期建立の和様・唐様・天竺様という三つの様式を持った八脚門で全国でも他には例がないそうです
周りに塀は無くポツって感じで建っていて、門以外からでも入り放題です
鐘楼と大門
山門を入ると右手に有りますが、大門は改修工事中でした
この大門にはでっかい わらじ がかかってます
大師堂
本堂 国宝
こじんまりとしてますが、なかなか赴きのあるお寺です
鎌倉時代に建てられた梁間五間の寄棟造、瓦葺屋根の建物で、昭和30年に改修工事が行われたそうです
五重塔
明治に作られていますが江戸の様式を受け継いだ建築物だそうです
竹林寺に続いてこの旅2ヶ所目の五重塔です
せっかく見たかった本堂なので色々な角度で撮ってみてます
本山寺は八十八ヶ所中唯一の馬頭観音を本尊としているのにちなんで馬の像があるそうな
ちょっと短絡的な発想では
本堂は大師が一晩で建てたとか、長宗我部軍が本堂に侵入の際、住職を刃にかけたところ脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち、これに驚いた軍勢が退去したため本堂は兵火を免れたとか何かと言い伝えが有るお寺でした
ここまでのルート
琴弾公園から本山寺 6.1km
撮影日 2011年3月11日
四国一周 7日目 ・・・ ④ [旅行記]
見どころ、突っ込みどころ満載のお寺 石手寺を後にして次に向かったのは110km先の66番雲辺寺
この旅2度目のロープウェイを使って行くお寺です(車でも行けるのですが有る物は使用しないとね)
52番から64番は瀬戸内海沿いを走り しまなみ街道 を見る事の出来る非常に魅力のあるルートですが、残り日数が足りず今回はパスしてしまいとても残念です
石手寺を9時半過ぎに出発し松山ICから松山自動車道に入り川之江JCTを過ぎるといよいよ愛媛県を出て四国最後の県、讃岐の国 涅槃(ねはん)の道場 香川県に突入です
○ 第66番札所 雲辺寺(うんぺんじ) map
讃岐の国 涅槃の道場の最初のお寺雲辺寺、八十八ヶ所中一番の高所に有る山岳霊場だそうです
ところで、なんとこのお寺 敷地は徳島に有るのですが、お遍路上は讃岐の打ち始め「関所寺」となっています
確かにこのお寺を阿波の国としてしまうとお遍路が大変な事になっちゃいますよね
途中の豊浜SAで早めの昼食を食べたりお土産買ってたりしたせいか雲辺寺ロープウェイ乗り場に着いたのは12時半になってました
このロープウェイは以前乗った太龍寺ロープウェイと同じ四国ケーブル社が運営しています 雲辺寺ロープウェイ
全長はほぼ同じ2.6km有りますが運転速度が速いので7分程度で頂上に着きます
太龍寺のが5m/sに対し雲辺寺は10m/sあり なんと倍の早さです
行った時登りのロープウェイに同乗したのは平日だったせいも有り3人でしたが格好はお遍路スタイルではないし、若いお兄さんだし何しに行くのかなと思ってたら手にボードやスキーを持っているではないですか
なんとお山の上にはスキー場も有ったのです スノーパーク雲辺寺
経営は雲辺寺では無く四国ケーブル社でした
夏はお遍路、冬はスキー客と年間を通して稼ぐ作戦ですね
ロープウェイ代2,000円払って乗車です
昇っていくと瀬戸内海が見えてきます
正面の木が茂っている辺りは琴弾公園です
ところで、上からの写真で何か気付きませんか?
じつは香川県はため池が非常に多い県で日本全体の約10%に当る16,000個ほど有るそうです
バス釣り好きにはたまらない土地ですね
おお リフトが見えます
この日は、なんでも数日前雪が降ったそうで以外とコンディションが良かったみたいです
ロープウェイから降りて最初にスキー場の方に行ってみた所、毘沙門天の像が建ってました
毘沙門天展望館
かなり最近出来た様なたたずまい
中には螺旋階段が有り、上る事が出来ます
階段の壁には八十八ヶ所の各お寺の切絵が貼っており霊山寺など見ると妙に懐かしくなってしまいました
毘沙門天
足デカ
屋上からはスキー場も見えます
やはり滑る所しか雪はネーですな
お寺に行くと五百羅漢の石造が待ってます
石手寺の木彫りの五百羅漢とはえらい違いでなかなかの迫力です
鐘楼と大師堂
この時は山門を大師堂近くに移築する工事をしていました
もう出来ている頃でしょうね
本堂
ありゃりゃ、持ってたお遍路さんの本の写真には木造の本堂が写ってたのにすっかり建て直されていました
以前の方が良かったのに
護摩堂
写真の左下に有るナス、「おたのみなす」と言って願いを込めて腰掛けると叶うと言われています
この辺には結構雪が残ってますね
ところで、なすのお守り買いたくて納経所に行ったのですがそこに居たおねいさん とても可愛かったです
色々なブログでもこの事を書かれている方がいますのでかなりレベルは高いかも ですね(写真は無いです ゴメンナサイ)
ここまでのルート
石手寺から雲辺寺 112.3km
この旅2度目のロープウェイを使って行くお寺です(車でも行けるのですが有る物は使用しないとね)
52番から64番は瀬戸内海沿いを走り しまなみ街道 を見る事の出来る非常に魅力のあるルートですが、残り日数が足りず今回はパスしてしまいとても残念です
石手寺を9時半過ぎに出発し松山ICから松山自動車道に入り川之江JCTを過ぎるといよいよ愛媛県を出て四国最後の県、讃岐の国 涅槃(ねはん)の道場 香川県に突入です
○ 第66番札所 雲辺寺(うんぺんじ) map
讃岐の国 涅槃の道場の最初のお寺雲辺寺、八十八ヶ所中一番の高所に有る山岳霊場だそうです
ところで、なんとこのお寺 敷地は徳島に有るのですが、お遍路上は讃岐の打ち始め「関所寺」となっています
確かにこのお寺を阿波の国としてしまうとお遍路が大変な事になっちゃいますよね
途中の豊浜SAで早めの昼食を食べたりお土産買ってたりしたせいか雲辺寺ロープウェイ乗り場に着いたのは12時半になってました
このロープウェイは以前乗った太龍寺ロープウェイと同じ四国ケーブル社が運営しています 雲辺寺ロープウェイ
全長はほぼ同じ2.6km有りますが運転速度が速いので7分程度で頂上に着きます
太龍寺のが5m/sに対し雲辺寺は10m/sあり なんと倍の早さです
行った時登りのロープウェイに同乗したのは平日だったせいも有り3人でしたが格好はお遍路スタイルではないし、若いお兄さんだし何しに行くのかなと思ってたら手にボードやスキーを持っているではないですか
なんとお山の上にはスキー場も有ったのです スノーパーク雲辺寺
経営は雲辺寺では無く四国ケーブル社でした
夏はお遍路、冬はスキー客と年間を通して稼ぐ作戦ですね
ロープウェイ代2,000円払って乗車です
昇っていくと瀬戸内海が見えてきます
正面の木が茂っている辺りは琴弾公園です
ところで、上からの写真で何か気付きませんか?
じつは香川県はため池が非常に多い県で日本全体の約10%に当る16,000個ほど有るそうです
バス釣り好きにはたまらない土地ですね
おお リフトが見えます
この日は、なんでも数日前雪が降ったそうで以外とコンディションが良かったみたいです
ロープウェイから降りて最初にスキー場の方に行ってみた所、毘沙門天の像が建ってました
毘沙門天展望館
かなり最近出来た様なたたずまい
中には螺旋階段が有り、上る事が出来ます
階段の壁には八十八ヶ所の各お寺の切絵が貼っており霊山寺など見ると妙に懐かしくなってしまいました
毘沙門天
足デカ
屋上からはスキー場も見えます
やはり滑る所しか雪はネーですな
お寺に行くと五百羅漢の石造が待ってます
石手寺の木彫りの五百羅漢とはえらい違いでなかなかの迫力です
鐘楼と大師堂
この時は山門を大師堂近くに移築する工事をしていました
もう出来ている頃でしょうね
本堂
ありゃりゃ、持ってたお遍路さんの本の写真には木造の本堂が写ってたのにすっかり建て直されていました
以前の方が良かったのに
護摩堂
写真の左下に有るナス、「おたのみなす」と言って願いを込めて腰掛けると叶うと言われています
この辺には結構雪が残ってますね
ところで、なすのお守り買いたくて納経所に行ったのですがそこに居たおねいさん とても可愛かったです
色々なブログでもこの事を書かれている方がいますのでかなりレベルは高いかも ですね(写真は無いです ゴメンナサイ)
ここまでのルート
石手寺から雲辺寺 112.3km
撮影日 2011年3月11日
四国一周 7日目 ・・・ ③ [旅行記]
後で知ったのですが、石手寺の裏の院は珍寺大道場と言う全国の変わったお寺を集めた超人気サイトに紹介されていました
しかし色々なお遍路関係の本を見てもここが紹介された物は無く、なんの予備知識も無しに行ったのですが まさに表に出てこないB級スポットに相応しい所でした map
○ 第51番札所 石手寺(いしてじ) その2
本堂の横にも怪しげな小屋が
別世界の入口、マントラ洞の入口です
門をくぐると説明看板が有ります
どうもマントラ洞の中は安らぎと感謝を感じ、悟りの世界への修行が出来る様です
あやしさプンプンの入口
何処に安らぎが有るの~....
フラッシュ閃光がまたたきぶきみな仏像が整然と並んでいます
興味本位で入った人は奥まで行かず出てしまうとか
出口です
車で通ったらきっとここにトンネルが有るなんて判らない様な作りになってます
奥の院 入口の門には閻魔さんが でもなんで閻魔さんなのかな
コンクリの中の鉄芯が錆びてボロボロになった意味不明な像が参道に並んでいます
しっかし安普請だな
で さらに進んでいくと突然巨大な建物が現れます
マントラ塔です
入口が開いていたので中に入ってみました
2階に上がると
天井は綺麗でしたが
ぶ ぶ 不気味な五百羅漢が並んでいます
写真では明るいですが、実際はもっと暗かったです。夜には絶対に来れないです キッパリ
中央には多宝小塔が安置されています
しかしこの空間に一人で居るのが居た堪れず早々に退出しました
マントラ塔の横にはガリガリに痩せた苦行釈迦像が安置されていました
正面からの写真は済みませんが割愛させて頂きます
表の歴史が有る建物と、裏の怪しげな安普請感プンプンのミスマッチが大変魅力的?でした
こんなワンダーな場所の隣に幼稚園が有ります
ここを見て育った子供たちはどんな大人になるのやら
マントラ塔や釈迦像が余りにもインパクトが強く奥の院はほとんど見ずに表のお寺に戻ってしまいました
松山や道後温泉に行かれた方は是非 石手寺に寄って奥の院まで足をのぼしてみて下さい ウケマスヨ
この後、宝物殿などを見学して9時半過ぎ 見所満載なお寺 石手寺を後にしてます
さて愛媛県での観光はこれで終了、次回からは最後の県 香川県となります
しかし色々なお遍路関係の本を見てもここが紹介された物は無く、なんの予備知識も無しに行ったのですが まさに表に出てこないB級スポットに相応しい所でした map
○ 第51番札所 石手寺(いしてじ) その2
本堂の横にも怪しげな小屋が
別世界の入口、マントラ洞の入口です
門をくぐると説明看板が有ります
どうもマントラ洞の中は安らぎと感謝を感じ、悟りの世界への修行が出来る様です
あやしさプンプンの入口
何処に安らぎが有るの~....
フラッシュ閃光がまたたきぶきみな仏像が整然と並んでいます
興味本位で入った人は奥まで行かず出てしまうとか
出口です
車で通ったらきっとここにトンネルが有るなんて判らない様な作りになってます
奥の院 入口の門には閻魔さんが でもなんで閻魔さんなのかな
コンクリの中の鉄芯が錆びてボロボロになった意味不明な像が参道に並んでいます
しっかし安普請だな
で さらに進んでいくと突然巨大な建物が現れます
マントラ塔です
入口が開いていたので中に入ってみました
2階に上がると
天井は綺麗でしたが
ぶ ぶ 不気味な五百羅漢が並んでいます
写真では明るいですが、実際はもっと暗かったです。夜には絶対に来れないです キッパリ
中央には多宝小塔が安置されています
しかしこの空間に一人で居るのが居た堪れず早々に退出しました
マントラ塔の横にはガリガリに痩せた苦行釈迦像が安置されていました
正面からの写真は済みませんが割愛させて頂きます
表の歴史が有る建物と、裏の怪しげな安普請感プンプンのミスマッチが大変魅力的?でした
こんなワンダーな場所の隣に幼稚園が有ります
ここを見て育った子供たちはどんな大人になるのやら
マントラ塔や釈迦像が余りにもインパクトが強く奥の院はほとんど見ずに表のお寺に戻ってしまいました
松山や道後温泉に行かれた方は是非 石手寺に寄って奥の院まで足をのぼしてみて下さい ウケマスヨ
この後、宝物殿などを見学して9時半過ぎ 見所満載なお寺 石手寺を後にしてます
さて愛媛県での観光はこれで終了、次回からは最後の県 香川県となります
撮影日 2011年3月11日
四国一周 7日目 ・・・ ② [旅行記]
道後温泉を後にして次に行ったのは前日パスしてしまった51番札所石手寺です
ここは道後温泉から1.2km(近!)しかないので、お遍路さんの他にも松山観光のついでに訪れる人も多い観光スポットになってます
でもここは 2009年3月、ミシュランガイド(観光地)日本編において1つ星に選定されたにも拘らず、本堂裏のトンネルを抜けると日本有数のB級スポットに一変する不思議なお寺でした
まずは表の顔?からです
○ 第51番札所 石手寺(いしてじ) map
道後温泉から近い事もあり車で5分もかからず着いてしまいました
散歩がてらに歩いて来るのも良いかもしれませんね
なお車で来ると駐車場代210円(平日、休日は260円)が必要になります
着いたのは7時半頃でしたがちゃんと係りの方が居てしっかりと駐車場代を取られました
元は安養寺と言う名前でしたが遍路の元祖とされる衛門三郎の伝説によって石手寺に改名されたそうです
衛門三郎って誰と思ったらココ ---→ Wikipedia
屋根付回廊
左右には観光客目当ての土産物屋やおやきのお店が並んでいますがまだ閉まってました
山門(仁王門) 国宝 三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺き
レジャーシートみたいな物がぶら下がっていてちょっと引きます
ここの門にも大ワラジがぶら下がっていました
本堂 重要文化財
巨大な五鈷(ごこ)が立ちはだかってます
鎌倉末期に出来た単層入母屋造りの仏堂です
三重塔 重要文化財
あまり古い仏塔が存在しない四国の中ではずばぬけて古い歴史を持つ鎌倉末期の作だそうです
お砂撫で
三重塔の周りに八十八ヶ所の各お寺から持って来た砂の入った砂袋が置いて有り、これを触りながら一周するとお遍路したのと同じ効果が有るというありがたい物です
最後の袋は満願のお礼参りの地 お大師さまの聖地 高野山 の物でした
大師堂
かつては壁に正岡子規、夏目漱石ら多くの文化人の落書きが記されており、「落書堂」とも呼ばれていたのですが第二次世界大戦中に塗り直されてしまい今は有りません
納経所
観光客が多く、みな線香の煙を頭に浴びていてここは浅草かって感じでした
表の顔は歴史も有りナカナカ見所も沢山有る良いお寺でした
次回は裏の顔?、石手寺のB級スポット 奥の院 です
ここまでのルート
道後温泉から石手寺 1.2km
ここは道後温泉から1.2km(近!)しかないので、お遍路さんの他にも松山観光のついでに訪れる人も多い観光スポットになってます
でもここは 2009年3月、ミシュランガイド(観光地)日本編において1つ星に選定されたにも拘らず、本堂裏のトンネルを抜けると日本有数のB級スポットに一変する不思議なお寺でした
まずは表の顔?からです
○ 第51番札所 石手寺(いしてじ) map
道後温泉から近い事もあり車で5分もかからず着いてしまいました
散歩がてらに歩いて来るのも良いかもしれませんね
なお車で来ると駐車場代210円(平日、休日は260円)が必要になります
着いたのは7時半頃でしたがちゃんと係りの方が居てしっかりと駐車場代を取られました
元は安養寺と言う名前でしたが遍路の元祖とされる衛門三郎の伝説によって石手寺に改名されたそうです
衛門三郎って誰と思ったらココ ---→ Wikipedia
屋根付回廊
左右には観光客目当ての土産物屋やおやきのお店が並んでいますがまだ閉まってました
山門(仁王門) 国宝 三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺き
レジャーシートみたいな物がぶら下がっていてちょっと引きます
ここの門にも大ワラジがぶら下がっていました
本堂 重要文化財
巨大な五鈷(ごこ)が立ちはだかってます
鎌倉末期に出来た単層入母屋造りの仏堂です
三重塔 重要文化財
あまり古い仏塔が存在しない四国の中ではずばぬけて古い歴史を持つ鎌倉末期の作だそうです
お砂撫で
三重塔の周りに八十八ヶ所の各お寺から持って来た砂の入った砂袋が置いて有り、これを触りながら一周するとお遍路したのと同じ効果が有るというありがたい物です
最後の袋は満願のお礼参りの地 お大師さまの聖地 高野山 の物でした
大師堂
かつては壁に正岡子規、夏目漱石ら多くの文化人の落書きが記されており、「落書堂」とも呼ばれていたのですが第二次世界大戦中に塗り直されてしまい今は有りません
納経所
観光客が多く、みな線香の煙を頭に浴びていてここは浅草かって感じでした
表の顔は歴史も有りナカナカ見所も沢山有る良いお寺でした
次回は裏の顔?、石手寺のB級スポット 奥の院 です
ここまでのルート
道後温泉から石手寺 1.2km
撮影日 2011年3月11日
四国一周 7日目 ・・・ ① [旅行記]
とうとう2011年3月11日の朝となってしまいました
でも旅はとても順調でした
○ 道後温泉 (朝)
この日も早起きだったので6時40分頃街に出てみました
後から知ったのですが道後温泉本館の太鼓が鳴るのは朝の6時だったのでもう少し早く出てみれば良かったですね
冠山中腹から見た本館
昨日の夜居た人力車はさすがにまだ居ませんね
朝早くから結構な人が入浴しに来てました
この角度から見た所がお気に入り
本館を後にして駅に回ってから宿にもどってみました
道後温泉駅とぼっちゃん列車
からくり時計は駅の反対方向に有ります
道後温泉は松山市内から近いし交通の便も良いので観光に保養にと色々楽しめるいい場所ですね
40分ほど街をウロウロした後次の目的地に向かいましが、ちょっと摩訶不思議な場所でした
でも旅はとても順調でした
○ 道後温泉 (朝)
この日も早起きだったので6時40分頃街に出てみました
後から知ったのですが道後温泉本館の太鼓が鳴るのは朝の6時だったのでもう少し早く出てみれば良かったですね
冠山中腹から見た本館
昨日の夜居た人力車はさすがにまだ居ませんね
朝早くから結構な人が入浴しに来てました
この角度から見た所がお気に入り
本館を後にして駅に回ってから宿にもどってみました
道後温泉駅とぼっちゃん列車
からくり時計は駅の反対方向に有ります
道後温泉は松山市内から近いし交通の便も良いので観光に保養にと色々楽しめるいい場所ですね
40分ほど街をウロウロした後次の目的地に向かいましが、ちょっと摩訶不思議な場所でした
撮影日 2011年3月11日
四国一周 6日目 ・・・ ⑧ [旅行記]
大寶寺を出たのが5時を過ぎていたため、この後寄る予定としていました石手寺を次の日に変更し、道後温泉の宿に向かいました
途中メモリーカードなどの買い物をして宿に着いたのは6時半頃、道後温泉本館から歩いて3分位の所にあるちょっと前の旅館と呼ぶのがぴったりのお宿でした
この旅2度目の畳みの部屋でお茶飲みながらくつろいで7時過ぎ 夜の道後温泉に繰り出しました
○ 道後温泉 (夜)
道後温泉本館 道後温泉旅館協同組合HP map
明治27年に建築された三層楼の建築物でアルカリ性単純泉の泉質を持つ公衆浴場です
宿泊施設は無く温泉入って部屋でくつろぐシステムになっていて、部屋のグレードで入浴料金が違ってます
でもどの部屋でも1時間ほどしか居られない様なのでゆっくりくつろぐにはちょっと物足りないかな
東南の角から見た所
宿から歩いて行くとまずはこの場所に出ます
裏口ですね
反時計回りでぐるっと回ってみました
北東角です
屋上に有る赤い明かりの点いている所は振鷺閣 (しんろかく)で、建設当時 無駄な物だと言われたので火の見櫓だと説明して納得してもらったとか
中には太鼓が吊るされており、朝・昼と夕方の3回打ち鳴らされていて環境庁の残したい日本の音風景100選に選定されているそうですが、今回タイミングが悪く聞く事が出来ませんでした
上に乗ってるのは鶴?
北西角
ジブリアニメの千と千尋の神隠しで出てくる油屋のモデルの一つと言われていますね
次回来た時はぜひ入浴して建物の中も見てみたいです
道後温泉本館を離れ市内をブラっとしてみました
椿の湯 松山市HP map
本館から200mほど離れた商店街の一角にある公衆浴場
地元の温泉として朝6時半から夜11時まで、商店街や近くに住む常連たちで一日中にぎわいを見せるお風呂です
こんなのが家の近くに有ったらしょっちゅう入りに来るのにな~
道後温泉駅 map 伊予鉄道 HP
昭和61年に明治時代の建物を復元したそうで、レトロちっくな駅舎ですね
ところで野球拳は伊予鉄道電気時代の野球部にて考案されたとか これってトリビア?
ぼっちゃん列車 Wikipedia
昼間市内を走っている車両が夜になるとここに展示されています
見た目はSL 中身はディーゼル機関です
運転には市内電車を運転できる資格「乙種電気車運転免許」ではなく、「乙種内燃車運転免許」が必要だそうです
からくり時計
道後温泉本館が国の重要文化財に指定された平成6年に設置されてます
丁度行った時、観光ボランティアガイドの方が説明していて、人も集まってて賑わってました
この後宿でお勧めされたすし屋でこの旅最大の散財 “にぎり寿司とうな重” を食べてから、松山藩主が長崎から製法を持ち帰ったと言われている タルト 2種類と あげまん を買って宿に戻り本日の観光は無事終了しました ハタダ 栗タルト
途中メモリーカードなどの買い物をして宿に着いたのは6時半頃、道後温泉本館から歩いて3分位の所にあるちょっと前の旅館と呼ぶのがぴったりのお宿でした
この旅2度目の畳みの部屋でお茶飲みながらくつろいで7時過ぎ 夜の道後温泉に繰り出しました
○ 道後温泉 (夜)
道後温泉本館 道後温泉旅館協同組合HP map
明治27年に建築された三層楼の建築物でアルカリ性単純泉の泉質を持つ公衆浴場です
宿泊施設は無く温泉入って部屋でくつろぐシステムになっていて、部屋のグレードで入浴料金が違ってます
でもどの部屋でも1時間ほどしか居られない様なのでゆっくりくつろぐにはちょっと物足りないかな
東南の角から見た所
宿から歩いて行くとまずはこの場所に出ます
裏口ですね
反時計回りでぐるっと回ってみました
北東角です
屋上に有る赤い明かりの点いている所は振鷺閣 (しんろかく)で、建設当時 無駄な物だと言われたので火の見櫓だと説明して納得してもらったとか
中には太鼓が吊るされており、朝・昼と夕方の3回打ち鳴らされていて環境庁の残したい日本の音風景100選に選定されているそうですが、今回タイミングが悪く聞く事が出来ませんでした
上に乗ってるのは鶴?
北西角
ジブリアニメの千と千尋の神隠しで出てくる油屋のモデルの一つと言われていますね
次回来た時はぜひ入浴して建物の中も見てみたいです
道後温泉本館を離れ市内をブラっとしてみました
椿の湯 松山市HP map
本館から200mほど離れた商店街の一角にある公衆浴場
地元の温泉として朝6時半から夜11時まで、商店街や近くに住む常連たちで一日中にぎわいを見せるお風呂です
こんなのが家の近くに有ったらしょっちゅう入りに来るのにな~
道後温泉駅 map 伊予鉄道 HP
昭和61年に明治時代の建物を復元したそうで、レトロちっくな駅舎ですね
ところで野球拳は伊予鉄道電気時代の野球部にて考案されたとか これってトリビア?
ぼっちゃん列車 Wikipedia
昼間市内を走っている車両が夜になるとここに展示されています
見た目はSL 中身はディーゼル機関です
運転には市内電車を運転できる資格「乙種電気車運転免許」ではなく、「乙種内燃車運転免許」が必要だそうです
からくり時計
道後温泉本館が国の重要文化財に指定された平成6年に設置されてます
丁度行った時、観光ボランティアガイドの方が説明していて、人も集まってて賑わってました
この後宿でお勧めされたすし屋でこの旅最大の散財 “にぎり寿司とうな重” を食べてから、松山藩主が長崎から製法を持ち帰ったと言われている タルト 2種類と あげまん を買って宿に戻り本日の観光は無事終了しました ハタダ 栗タルト
撮影日 2011年3月10日
四国一周 6日目 ・・・ ⑦ [旅行記]
45番 岩屋寺 を後にして次に向かったのは44番 大寶寺
松山城での長居が災いして着いたのは予定の3時間遅れ 4時過ぎになっており、今後の行動をどうしようかと考えながら本堂を目指して登っていきました
○ 第44番札所 大寶寺(だいほうじ) map
八十八ヶ所札所の折り返しにあたり 中札所 と呼ばれている大寶寺
43番札所の明石寺からは80km離れおり、その行程はいくつもの峠越えの難所が続く歩きお遍路では最大の難所になっています
仁王門(楼門)
岩屋寺ほどではないですが駐車場から結構歩きます
右から阿形・吽形
室町時代の作で久万高原町指定文化財になっています
門の中にはこんなでっかいワラジが左右にぶら下がってました
今まで見たお寺には見かけませんでしたが、この後見るお寺では良く見ることになります
仁王門を抜け少し登ると本堂が見えて来ます
本堂
明治7年に焼失し大正14年に再建されたそうです
大師堂
総檜造、やはり明治7年に焼失し昭和59年に再建されたそうです
鐘楼
このお寺にはめずらしく鐘楼が2ヶ所有りました
手前は以前から有った物、奥は太平洋戦争でなくなった地元の英霊を供養する平和の鐘だそうです
大寶寺を出たのは5時過ぎになってしまったので残りの予定をキャンセルし、この日のお宿 道後温泉を目指して車を飛ばしました
キャンセルしたお寺は次の日見たのですが、これがまたなかなかの変寺でした
ここまでのルート
岩屋寺から大寶寺 11.4km
松山城での長居が災いして着いたのは予定の3時間遅れ 4時過ぎになっており、今後の行動をどうしようかと考えながら本堂を目指して登っていきました
○ 第44番札所 大寶寺(だいほうじ) map
八十八ヶ所札所の折り返しにあたり 中札所 と呼ばれている大寶寺
43番札所の明石寺からは80km離れおり、その行程はいくつもの峠越えの難所が続く歩きお遍路では最大の難所になっています
仁王門(楼門)
岩屋寺ほどではないですが駐車場から結構歩きます
右から阿形・吽形
室町時代の作で久万高原町指定文化財になっています
門の中にはこんなでっかいワラジが左右にぶら下がってました
今まで見たお寺には見かけませんでしたが、この後見るお寺では良く見ることになります
仁王門を抜け少し登ると本堂が見えて来ます
本堂
明治7年に焼失し大正14年に再建されたそうです
大師堂
総檜造、やはり明治7年に焼失し昭和59年に再建されたそうです
鐘楼
このお寺にはめずらしく鐘楼が2ヶ所有りました
手前は以前から有った物、奥は太平洋戦争でなくなった地元の英霊を供養する平和の鐘だそうです
大寶寺を出たのは5時過ぎになってしまったので残りの予定をキャンセルし、この日のお宿 道後温泉を目指して車を飛ばしました
キャンセルしたお寺は次の日見たのですが、これがまたなかなかの変寺でした
ここまでのルート
岩屋寺から大寶寺 11.4km
撮影日 2011年3月10日
四国一周 6日目 ・・・ ⑥ [旅行記]
松山城を後にして次に来たのは45番 岩屋寺です
松山市内から行く時は44番 大宝寺の方が手前に有りますが、奥に有る岩屋寺から先に寄ってみました
松山城で時間使い過ぎてしまいたどり着いたのは3時、1時半着を予定としていたので大宝寺をすっ飛ばしても大幅な遅れになってしましまた
○ 第45番札所 岩屋寺(いわやじ) map
かつては44番札所の大宝寺の奥の院だったのですが、明治7年に独立し45番札所となったそうです
標高700mの切り立った断崖中腹にある山岳霊場である岩屋寺は、駐車場から本堂まで急な坂道と石段がひたすら続く道になっていて 車お遍路で一番の難所と言われています(歩きお遍路の人にとっては楽勝でしょうけど)
水曜どうでしょうでも大泉さんが悟り開いたと言われているお寺で、どうしても行ってみたかった所です 水曜どうでしょう
駐車場に有る料金箱に300円を入れて参拝開始です
駐車場を出た所からこんな感じの登りが続きます
山門
こじんまりとしてますがなかなか立派な門です
でも門の先には急階段が....
岩屋寺の本尊は不動明王です
参道左手の岩の上に不動明王が祭られていて、足元にミニ巡礼路が有ります
御手洗川という小沢に掛かる極楽橋
なんでも橋の上では杖を突いてはいけないそうです
道開き不動尊
“新しくものごとを始める時 難局に当たって行き詰まった時 祈念するとおかげをいただけます” だそうです
もう一回行ってお祈りして来たいよ~
もともとは海底だった所が隆起して出来た凝灰岩の山、独特の景観を持ってます
だんだん本堂が見えてきました
右は納経所です
本堂
明治31年に全焼し昭和2年に再建されたそうです
ところで本堂の右側に階段が有りますね、岩の室内に作られた法華仙人堂に行く為の物でした
ちょっと怖いけど登ってみました
結構狭く怖かったです
大師堂
大正9年に再建。向拝柱は上部を細くしたエンタシスとし、柱上部にはバラの花と房飾りを彫り出し、柱下部にはフルーティング(溝彫り)を施すなど、随所に西洋建築のディテールを取り入れている。伝統的仏堂建築に新様式を取り入れた、近代仏堂の代表作として、2007年に国の重要文化財に指定されています (Wikipediaより)
ところで岩屋寺は本堂より大師堂の方が大きく出来ています
それは、大師が本堂に木彫りの不動明王、山に石造の不動明王を安置し山全体を本堂としているからだそうです
そう考えるとでっかい本堂ですね
ここまでのルート
松山市内から岩屋寺 43.7km
ちなみに岩屋寺から四万十川源流は以外と近い(?)かも
岩屋寺から四万十川源流 54.5km
車で2時間ほどかな でもどんな道なのかは責任持てませんのであしからず
松山市内から行く時は44番 大宝寺の方が手前に有りますが、奥に有る岩屋寺から先に寄ってみました
松山城で時間使い過ぎてしまいたどり着いたのは3時、1時半着を予定としていたので大宝寺をすっ飛ばしても大幅な遅れになってしましまた
○ 第45番札所 岩屋寺(いわやじ) map
かつては44番札所の大宝寺の奥の院だったのですが、明治7年に独立し45番札所となったそうです
標高700mの切り立った断崖中腹にある山岳霊場である岩屋寺は、駐車場から本堂まで急な坂道と石段がひたすら続く道になっていて 車お遍路で一番の難所と言われています(歩きお遍路の人にとっては楽勝でしょうけど)
水曜どうでしょうでも大泉さんが悟り開いたと言われているお寺で、どうしても行ってみたかった所です 水曜どうでしょう
駐車場に有る料金箱に300円を入れて参拝開始です
駐車場を出た所からこんな感じの登りが続きます
山門
こじんまりとしてますがなかなか立派な門です
でも門の先には急階段が....
岩屋寺の本尊は不動明王です
参道左手の岩の上に不動明王が祭られていて、足元にミニ巡礼路が有ります
御手洗川という小沢に掛かる極楽橋
なんでも橋の上では杖を突いてはいけないそうです
道開き不動尊
“新しくものごとを始める時 難局に当たって行き詰まった時 祈念するとおかげをいただけます” だそうです
もう一回行ってお祈りして来たいよ~
もともとは海底だった所が隆起して出来た凝灰岩の山、独特の景観を持ってます
だんだん本堂が見えてきました
右は納経所です
本堂
明治31年に全焼し昭和2年に再建されたそうです
ところで本堂の右側に階段が有りますね、岩の室内に作られた法華仙人堂に行く為の物でした
ちょっと怖いけど登ってみました
結構狭く怖かったです
大師堂
大正9年に再建。向拝柱は上部を細くしたエンタシスとし、柱上部にはバラの花と房飾りを彫り出し、柱下部にはフルーティング(溝彫り)を施すなど、随所に西洋建築のディテールを取り入れている。伝統的仏堂建築に新様式を取り入れた、近代仏堂の代表作として、2007年に国の重要文化財に指定されています (Wikipediaより)
ところで岩屋寺は本堂より大師堂の方が大きく出来ています
それは、大師が本堂に木彫りの不動明王、山に石造の不動明王を安置し山全体を本堂としているからだそうです
そう考えるとでっかい本堂ですね
ここまでのルート
松山市内から岩屋寺 43.7km
ちなみに岩屋寺から四万十川源流は以外と近い(?)かも
岩屋寺から四万十川源流 54.5km
車で2時間ほどかな でもどんな道なのかは責任持てませんのであしからず
撮影日 2011年3月10日